「好き」は宝物



好きになるのも才能のひとつな気がするっていうことを最近考えておるのでやんす。


んー、才能っていうとちょっと違う気がするなぁ…。「好きという気持ちだけ」で何かを生み出せるとかそういうのじゃないもんなぁ。

才能というか、自分にとってとっても大事な宝物というか。そう!宝物!これでいこう。

例えば私の場合、ライブや音楽が好きだなぁって高校生の思春期のひねくれたときになんとなく気づいた。今思うととんだ勘違い、とんだ思い違い、なのかもしれないけれど自分は音楽が好きでたまらなかった。過去形ではなく今もやっぱり好き。

高校生のときはひねくれすぎていてかつ人とコミュニケーションが上手にとれなくて友達ができなかったので、周りのクラスの友達と比較することはできなかったけど、もしかしたら周りの人たちとなんら変わらず「人並みに音楽が好き」だったのかもしれない。いやたぶんそう。

けれども、当時は「自分には音楽しかない、音楽しか私の心は満たされない」と本気で思っていたほどに音楽が好きでした。その証拠に恋人もできませんでした。(それは別問題)

楽器をやっているわけでもなんでもなかったけれども、音楽が好きだなって思ってました。(自分のなかで楽器ができないのに音楽好きとか言ってる自分にコンプレックスを抱いておりました)
音楽を聴いて、ライブに行って、ということをやっているときの自分が一番輝いて見えました。周りの目が一切気にならない瞬間だったのですね。

そして何を思ったか、音楽業界で働くしか道はないと思いはじめてしまいました。
そこに至るまではいろいろと理由はあるんだけれども…長くなるので省略しまして。

とにかく、高校生活を完全無視して音楽にはまってしまった私だったのです。好きなバンドのバンドマンに恋をして金を注ぎ込んでとかではなく、ライブやCDを買うことにとにかく全力でした。音楽が好きと言っても狭く深くというタイプだったので、好きになったミュージシャンのCDはとにかく全て買わないと気が済まなかったのです。テストを無視してAmazon、文化祭を無視してライブ、友達との楽しい昼休みを無視してイヤホンで音楽、授業を無視して歌詞カードを凝視、という悲惨な高校生活を送っておりました。

あの頃の自分には、現実から目を逸らさずに、耳をふさがず、素直になって恋をしなさいということを言ってそっと抱き締めてあげたい気持ちでいっぱいです(笑)でもきっとあの頃の自分がいたから出会えた人たちや出会えたものってたくさんあるんだろうなぁって思ったりもするので、とりあえず横っ腹に蹴りを入れるぐらいにしておいてやろう。

ええと話は戻り、なぜ、音楽業界で働くしか道はないと思ったかというと、憧れの人のスタッフさんが音楽業界ではないけど業界にいて、というのが最初の理由で
最終的な理由は、「音楽に時間と金を貢ぎすぎたから」です(笑)

高校生なんて一番楽しい時期じゃないかって今なら高校生達に言ってやれるけど、当時高校生の自分は、高校生活なんてくそ、早く終われ、むしろ今終わらしたろか、という気持ちでした。そう思ってしまった原因はいろいろあるんだけれども、要するにひねくれていたのです(笑)

高校生活を自ら楽しもうとせずに、音楽に自分の居場所を感じていた自分にとって、音楽業界で働くしかないと思うのは頭のよくない自分にとって不思議ではない考えの末です。

それに、「好きなこと」を仕事にしている人たちが当時はかっこよく見えました。特に音楽をやっている人たちはかっこよく見えたので、そんな人たちと働けたら毎日キラキラ輝いてもうそれはえらいこっちゃなんだろうなぁって目をキラキラさせていました。

「かっこいい大人=好きなことをやっている人」の図式に当てはめると、自分にとって「好きなこと=音楽」だったのでそれを職業にしなきゃかっこいい大人になれないなんて思ってました。


そうやってなんやかんやで東京へ行き

なんやかんやで音響の専門学校へ行き

なんやかんやで音楽は好きだけど
どうしても音響は好きじゃないなぁ…むしろ苦手だなぁ…ぐほぉ…となって

なんやかんやで業界に少しだけ足を突っ込み

なんやかんや今は別の職業に就くという経験を経て

好きっていう感情は、宝物だ!!ってことに最近気づいたんです。(いろいろ話端折ったけどどんどん行くよ)

高校生のとき、あれほど「好き」だと思っていた音楽やライブ。
これを私はある日否定します。

音楽関係の仕事はどうしても好きになれなかった。むしろ苦手でどうしても得意になれそうになかった。ってことは自分、音楽好きじゃないのかも。そもそも昔から音楽会とかで楽器を演奏するのが苦手で隣の子の動きだけ真似して音出さないで弾いてるフリしてたし、音響の学校行ったくせに音楽はある程度気持ちよく聴ければよくて音にあんまりこだわりないし、音響の機械も苦手で壊れたら叩けば直ると思ってるし

あぁ、音楽好きじゃないのかも。今まで現実逃避してただけなのかも。現実に戻ろう。

という考えに至り、現実を見るために音楽は人並みに、それなりに、楽しむようにしました。ライブだってお金掛かるんだからそんなに行くもんじゃないし、音楽だってインターネットを開けばすぐ聴けるんだからわざわざCDを買う必要もないし。
と思って自分の「好き」を否定し、封印しました。

完全に閉じ込めて生活から音楽を消したわけではないけど、別に好きとは言えない、普通、ぐらいの気持ちに切り替えて、ライブもそんなに行かなくなったし、音楽もそんなに興味を示さなくなりました。
するとどうなったかというと、

自分の生活に大きな変化はありませんでした。

音楽やライブに行くということが全くなくなったというわけではないので、まあそんなに変わらないよね。むしろ、周りよりも好きにならなきゃってむきにならなくなって楽になったぜ〜と思っている自分がいました。でもそれと同時に、大切な何かを失い、自分を見失ってしまったようにも思いました。

ただでさえ周りに流されやすい自分は、そのときから川の流れのようにどころか滝の流れのように地面に叩きつけるように流されやすくなった気がするのです。

フェイスブックなどで同級生が「社会人一年目踏み出しました!立派な社会人になれるよう頑張ります!」というような内容を投稿しようものなら、
ふぇぇ…やっぱちゃんと正社員で働かないと一人前の大人にはなれないよなぁ…。ということで正社員で働くつもりもなかったのに正社員で働くことを選び

姉が結婚して子どもを産むようものなら、
ふぇぇ…私も姉ぐらいで結婚して子ども産んでちゃんとしたお母さんになれるようにならなきゃ…。ってことは今からいい奥さんに、いいお母さんになれるようにならなきゃいかんなぁ…。ということで別にそんな必要もないのに帰りが夜遅くなっても無理して米を炊いて食事も一から作ったり

職場の人が東京へ上京して頑張るぞなんて言うものなら、
ふぇぇ…私もやっぱり東京へ行って夢を追い掛けて頑張らないといかんよなぁと考えはじめたり

もう、ブゥゥッッッレブッッッッッレ!

ブレすぎて止まっているように見えるんじゃないかってぐらい。いや実際、何も起こらず止まっている状態なんだけど。
なんかふわふわしてて、心がどこにもない感じが続いていた。
そのふわふわした感じがなくなった感じがしたのが

先日、東京へある劇団の舞台を観に行ったときでした。
舞台は職場の先輩と観たのですが、会場に着くまでは別行動で、一人で電車を乗り換えて一人で会場周辺で暇をつぶして、ということをやって合流して一緒に舞台を観た。

その舞台がまた最高で、久しぶりに心から笑って楽しくて心が躍ったなぁって感じて、そしてそのときから気づいてしまった。

私、なんか久しぶりに地に足つけて生きてる感、あるぞ!と。

思えば高校生のとき自分がやっていたことだったのですね。一人で会場へ行き、一人で暇をつぶし、一人で不安だけどライブを観たあとの「うっひょー楽しいー!人生楽しいー!だけど明日から現実に戻らなきゃー!うがー!」という一連の流れを(笑)

その一連の流れが好きだったのに、生きてる喜びを感じる瞬間だったのに、それをやらなくなったらそりゃだめよねぇ奥さん。

そう!で最初の話に戻ると!
ライブに行って音楽を聴くとか、舞台観に行って笑ったり泣いたりしにいくのとか、別にお金にならないし自分の技術が向上したりするものじゃないけど
そういう、「生きてるー!うっひょー!」って感じるものを大事にしなきゃいかんって思ったって話なんです。うん、これを言いたかった。

自分が生きてる、うっひょー!って感じることは他人からしたらめちゃくちゃつまらないものだったりもするんだよねこれ当たり前だけど!

仕事にもならないし金にもならないし人生の役に立たないかもしれないことかもしれないけど

その「好き」は宝物、ってことに君も早く気づいてね。

そしたらその宝物は大事にしなくちゃだめだよ。

その好きは自分にとっては当たり前だけど、人からしたら全然当たり前じゃないんだから。ということを自分に言い聞かせて今日は眠りにつこう。